年長たつのこ 平和のための行動 前編

先週、年長たつのこ組が

平和公園に 自分たちの思いを届けに行ってきました。

春からたくさんの絵本や

被爆2世であるエンチョーダンジョーの話

(だんじょうばあちゃんの体験談)やらを通して

原爆・平和 について 考えてきたたつのこさん。

原爆がもう二度と落ちないように

戦争が起こらないように

平和が続くように

自分たちにできることを考えて、

代々年長クラスが続けている

「千羽鶴を折って、原爆の子の像・禎子さんのところへ届ける」を

今年も実行したんです。

禎子さんのところに、鶴がいっぱいあることで

「これだけの人が 原爆・核兵器に反対しているんだ」って

誰が見ても分かるように。

自分たちができる「折り鶴」を通して

自分たちの意思を表明するという思いで 鶴をおるのです。

禎子ちゃん、もっともっと走りたかったよね

禎子ちゃんだけじゃない

いっぱいいっぱい こどもたちが

痛くて苦しくて死なんといけんかった。

そんなん もうしたらいけん!

いろんな話をしながら

せっせせっせと 年長は一人200羽の鶴を折り、

それを糸で綴り、

それぞれの思う平和について描いて

鶴の周りに飾りました。


サンタさんにもらった

普段は薪拾いに使う風呂敷に

この日は 自分の鶴を包み

電車を乗り継いで

平和公園へ。


爆風で飛ばされた 大きな建物。

原爆ドームは

産業奨励館っていって 広島の良いモノがいぱい並んでて

あの日も たくさんの人たちが働いていた。


原爆ドームの向かい側にある

西蓮寺さんの前におってんお地蔵さんも

原爆の中で残っちゃったお地蔵さんなんだって と

ダンジョーが指さしています。


原爆の遺産は 原爆ドームだけじゃないんよ。

そう伝えられたらいいなと思っているダンジョーです。

こどもたちに話をするためには

自分がよ~く分かって

それを、目の前のこどもたちが一番よく分かる形で伝えなくては。

戦争が怖いものだということ。

原爆は酷い。

そのことはくっきりと伝えたい。

でも、それだけじゃ、怖がらせて終わりになってしまう。

学んで、よく咀嚼して伝えなくてはなりません。


改築されたレストハウスにも寄りました。

あの惨劇のなか、爆心地にごく近い場所に居ながら助かった

野村英二さん(当時47歳)は 当時「燃料配給統制組合会館」の地下倉庫で書類を探していたのだそうです。


私が初めてその地下倉庫に入ったときは

なんともいえぬ…薄暗くて、湿気があって、当時のままのコンクリート剥き出しの壁が

まさに「歴史の証人」というたたずまいでしたが、

安全のため改築されて、幼児が入っても大丈夫になっていました。

レストハウス2階では、

被爆ピアノも見ました。

ピアノに突き刺さったガラス片。

こどもたちは、無言で見つめていました。

レストハウスを出ると、

空に大きな虹がかかっていました。

原爆ドームに根元を寄せて

空に駆け上がるような虹でした。


レストハウスから、川沿いに歩き

銀杏の落ち葉の金色絨毯を進んで

平和記念資料館へ。



そこでこどもたちは やっと禎子ちゃんの鶴たちと出会えたのです。

(後編に続く)

ひだまり保育園*安藝里山保育

広島市の東の端っこ 矢野 にある 認可外私立保育園です。 民家を利用して、 40人程度の小集団で暮らしています。

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