笑いながら怒りながら泣きながら*みんなの記事
今日お誕生日の方、おめでとうございます!
こんにちは こんばんは。ひだまり保育園のエンチョーダンジョーです。
実は園のパソコンがちょっと動かなくなりまして
長い間修理に出しておりましたため、更新が滞ってました。
元気に復活したパソコンちゃんで
また投稿を始めますので、よろしくお願いします。
さて、今日の記事は 昨春卒園した子のお父さんが書いて下さいました。
年長の5月に広島に越してこられ、
ひだまりに通ってくれたのは 11ヶ月。
短い保育期間でしたが、
みんなと楽しくわいわいと 生き生き過ごしてくれた11ヶ月でした。
それでは お読み下さい。
一番きれいなはっぱを踏まないように大事に大事に拾ったら、
もっといろんな色のはっぱを集めたくなって。
きれいな花を見つけたら、
やせがまんしてみんなで分け合って。
みんなで葉っぱの笛の練習して。
なんだかわからない実も
宝物としてこっそりポケットに忍ばせて。
泥だんごを作って、
泥の上に寝転がって、
泥の匂いを感じて、
泥を踏む音を聞いて…。
そんな里山の経験や環境をたくさん提供してもらったひだまり保育園です。
年長組より入園した女児の父です。
娘は年中組まで九州の田舎の保育園に通い、
その保育園は、
ひだまり保育園と同じく自然に触れ、
自然食を味わい、
こんにゃく座を楽しむ保育園でした。
よって、広島に引っ越しが決まると同時に、
我々家族ではひだまり保育園が決定事項でした。
それはやはり
里山や大きな自然の中で人をはぐくむことに重きを置いていたことでした。
自然そのままの遊び場は、
多種多様な要素があり、
人にたくさん刺激をあたえる魅力にあふれますが、
危険もいっぱいだと思います。
当然リスクからの観点で考えると
そこに足を踏み入れる保育園や幼稚園は少ないと思います。
そんな場所にイベントではなく
日常として子供たちを連れていくひだまり保育園は、
やはり希少で珍しい保育園かもしれません。
そんな保育園に通うことができた娘は、
一年間を通して矢野の山を通して育つことができました。
アゴという山の神や、
その山への冒険によって、自然への畏(おそ)れを覚えて、
それを知ることで身の周りの仲間や人を知ることができたのではないかと思います。
その身の回りのヒトを感じ知る環境があったおかげで
自分を感じて知ることもできたのではないかと思います。
大人でもなかなか難しいです。
大人もすぐに社会やヒトの流れに流されて
感情で自分自身を失ってしまいます。
ちなみに仲間を作ることに成功したうちの娘は、
自分の中の「怒られたら考えずに泣く蟲」を
アゴが訪れ来る節分に取り出すことができています。
ん?
取り出せたのかな?
兄弟蟲がまだ本人のなかにいそうだな…?。
当然、
これからまだまだ成長過程の娘ですが、
ひだまり保育園時代に仲間と手をつないで歩いて、
見えて触って聞こえて味わって考えたことは、
笑いながら怒りながら泣きながら
しっかりと本人の人間形成の礎となっていると思います。
父さんありがとうございました。
こうやって記事の中に貼り込む写真を探して
昨年度のアルバムをみていると
まだ1年経ってないのに、もっともっと時間が経ってる気がします。
不思議です。もう還暦間近になった私は
自分の時間をふりかえったら
あら?今年夏があったかしら?という位あっという間なのに
こどもたちとの暮らしをふりかえったら
もうそれは特濃コンクな 濃いさで充実してて
いっぱいいっぱい 思いがつまってるんですものね。
この学年は 11人のクラスで
そのうち4人が1年保育というこれまでにない、
そしてこれからもない学年でした。
私たちは、器用な保育できなくて
時間をかけて じっくりとお互いの人間をぶつけあい
育ち合っていくという保育スタイルなので
年長からの入園(転園)はお受けしないことにしています。
1年でできることって あるんだろうかと悩みながら
それでも、お引っ越しして来られて
これまでもこういう保育園に通ってたんですとお話受けて
じゃあ、今年限りだけど お受けしようと 意を決しての11人でした。
できあがった集団に あとから入る。
それがどれだけドキドキすることだろうか。
それを乗り越えて 仲良しの楽しい仲間になっていった4人に
本当にこどもの力をみせてもらいました。
何年 何十年保育をしていても、
いつまでもこどもたちに教えられます。
自然とこども は 私たち大人が
人間になっていくための先生だなあ。
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